夕方ごろからずっとねてた。おきてからまた寝ようと思ったけれど、今日のクリティークのことが頭から離れない。思い出すと恥ずかしくなる。最初のプロジェクトとして小さな写真集を作った。ロバート・フランク、ウィノグランド、フリードランダーの写真と自分の写真を混ぜ合わせて『I TEACH MYSELF AMERICA』というタイトル表紙と一緒に。自分が作ったものを人に見せるときに得るなんともいえない感覚。質問されたり、作業の過程で自分が感じていたことを話していた時間。もっと言いたいことがあったし、伝えられることができたことを伝えられなかったことが悔しい。でもまだ終わったわけでない。むしろ終わりなんてない・・・授業のためにやってると思った時点で、それは何の意味も持たなくなってしまう。気になっていること、アメリカであったり、風景やイメージとの関り方、アプローチの仕方。トラウマの中に生きるアメリカ人、それを掴もうとする写真家の視線、僕の視線。今の自分の世界の見方を、ほかの写真家のアメリカを見る視線の中に探してみたわけだけれど、最初に掲げてみたアメリカっていうテーマ性はむしろ後から付け加えられるもので、本来の目的は自分の世界との関り方、視線のあり方を写真というものを通して探求することなんだと、やってて思った。