“いっそ、僕は怠け者で、ずるくて、親に金をせびって生きている、だめな奴なんだと告白したほうが、清々するのではないか。何をやっても永つづきしないし、何をやっても失敗する男だ、と。同級生はみんな就職して一人前になっているのに、一人だけまだ甘ったれているヨジャレだ、と。アメリカをだしにして、のらくら暮らしている親不孝者だ、と。”

“あなたって、気が弱そうで、人がよさそうに見えて、そのくせ、案外、図々しくて、狡いところもあるの。つまり朴訥で狡猾”

“不思議な気がするだけさ。もし僕が東京に生れていたら、どうなっていたかなあと思うんだ。やはり『夏服を着た女たち』を訳してみたいと思うだろうか。・・・”


(『遠いアメリカ』 常盤新平



急に寒くなる。自販機にはまだ無いだろうから、コンビニで暖かい缶コーヒーでも買って、屋上で朝ごはん。この屋上からは東京タワーの先っぽが見えて、それをこうやって階段上って見に来るようになってしばらく経った。朝の温かいコーヒーはアメリカを思い出させて、今ごろGlennやSalahはどこで何をしてるのだろうと曇り空にでも問いかける。今日は昨日よりも冷えるそうで、こんな季節の変わり目を感じさせる日には、何かを始めなきゃと思わされる。音量0のテレビには、イチローの10年連続200本安打とその軌跡を伝えるニュースが繰り返し映されている。僕はそれをぼーっと見つめている。



夕方弟とキャッチボールをしに近くのグラウンドまで自転車で。

ここじゃない場所へ行きたいと思うとき、それはいつかまたここへ戻ってきたときに見える同じ風景を、違う風に感じたいからなんだと、思った。

僕はアメリカへ戻るのだろうか、そのとき僕は何を見るのだろうか。

何から書き始めてよいのかもわからないままここに戻ってきて約2ヶ月だということに気づかされる。あのころの僕はここにはいないような気がして、でも僕はここでこれから生きていかなくてはいかなくて、そんなことをずっと考えながら2ヶ月が立ったような気がする。そういえばこの前敦賀から小浜線に乗る機会があって、例のように30分も前からホームに停車している電車に乗り込んで本を読んでると、隣のホームに寝台列車日本海」が滑り込んでくるのが見えた。行き先は青森。そういえば昔列車が好きだった僕は、親からもらった列車の写真が載った本を飽きずに毎日眺めてた。そして敦賀駅に停車している、どこへ行くのかもわからない夜行列車に乗った自分を想像していたのかもしれない。カメラを持たなくなった僕は、それでもこの世界をファインダーの中に写る世界のように切り取って見つめる。青森行きの夜行列車は僕を残して夜の旅へと走り去る。

American Tune

LAXからのグリーンライン
思えば始まりもこの場所だった。
2人の少年とバスケットボール。
時間を聞かれる。1時52分だと答える。
そしてその瞬間この最後の数日間は写真を撮るまいと心に決めた。
窓からの風景。
どこかへ向かうこと、この場所を去ること。
僕はこの過ぎ去る風景を眺めなければいけない。